ジーンズへの想いの移り変わり

日本語で失礼する。

僕のファッションの原点はLevi’s 501だ。
長きにわたるファッションキャリアの終わりをジーンズにしようと思ったのは2013年48歳の頃だ。

501に始まってきっと501に終わるのだろう。


機会があり、ジーンズへの想いを順に振り返ってみた。

1)若い頃普通に履いていた今はヴィンテージジーンズと呼ばれるリーバイス501XXやBIG Eなどもう高くて買えない。サイズもない。レプリカジーンズは汗臭い。岡山の工場を使って作ってもらおうにしても、思うようなジーンズができるまでにはとんでもない時間と金がかかる。振り屋、パターンナー、サンプルメイカーなど中に入る人がたくさん必要だからコミュ力のない自分にはまず不可能だった。だったら自分で作った方が早いだろうと思い立ったのが始まりだった。

2)生地、糸、付属品、シルエットには拘るのは当然だが、それ以外にジーンズを縫うためのミシン、ボタンを打つ機械、ミシンの手元を照らすあかりなどの色々な道具にも拘る。そしてそれらの歴史や資料を持って武装する。ミシンテーブルや椅子、裁断テーブルは長いこと閉鎖され置き去りにされた縫製工場からその歴史ごと受け継いだ。ジーンズはアメリカのものだから使う単位はインチやオンスが標準だし、当時のねじは全部マイナスだった。そんな丁寧に準備された環境、条件の中で、できるだけ手作業で、自分一人で、気持ちよく作ることが重要だ。でもこれらは全部直接的にプロダクトの表面には現れないだろう部分のやり込みだ。でも神は細部に宿るとミースは言った。見えないプロセスにもしっかりと重きを置きたい。自分のために作るジーパンに誠実でありたいから。

3)NY移民の仕立て屋、ヤコブ・デイヴィス(リーバイ・ストラウスの相方)が作った「リベットで補強された折り伏せ縫いのジーンズ」と「古いSinger社の黒いミシン」に魅せられ、ニューヨークのスカイクレーパー(摩天楼)や橋を作ったワーカーズが履いていただろうジーンズに思い馳せて作る! NYへ移った最初の2年間で、作るジーンズの方向を決めた。もちろんデニムは未洗いのRAW DENIMしか使わないし、加工も施さない。

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4)人にデニム職人と言われ違和感を覚えた。寸分の違いもないものを作るのが職人だろう。不完全を完全とする自分はむしろアーチストの範疇だ。天上天下唯我独尊、十人十色、ミシンもRAW DENIM のジーンズも自分も一緒だ。目指すはデニムアーチストだ。あと20年経ってもITが真似できないことをやってみよう。

5)ビスポーク(誂え)のジーンズはサイズ、生地を選ぶほかにもNike IDのスニーカーようにジーンズのディティールをカスタマイズして楽しんでもいいんじゃないかと思うようになった。例えば501XX 1890モデルをスリムカットにしてヘアオンハイドのパッチが付いても、1933モデルでミリタリーチノぐらい股上が深いものでも、大戦モデルじゃないけどスレキ(ポケット)がフランネルのチェックでもいいんだと思う。デニム好きには相当リベラルな感じがするだろうけど、全然大丈夫だ。

6)今こんなことを考え、試行錯誤をしている。最後の二重環縫い以外はプロダクトには関係ないことばかりだ。

a)使っているミシンのパーツをシルバーやジュエリーでカスタマイズして、うっとりしながら縫いたい 

b)使っているミシンの音で音楽を作りたい 

c)デニム繋がりで、綿花を糸にして、藍染めして、生地を織りたい 

d)NYの冬は寒いから、冬は暖かいバンコクでジーンズを作りたい 

e)そろそろ二重環縫い始めようか、どうしようか。




とにかく前には進んでいるようだ。



takayuki echigoya